投稿者 formosa : 09:56
投稿者 formosa : 05:21
桧町公園は今…10月29日
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今日の散歩道、 只今、急ピッチで建設中の「東京ミッドタウン」にある桧町公園の回りを、中から外から覗いてみた。 外苑東通りから桧町公園に向かう歩道、そしてその歩道わきの植え込みも奇麗に仕上がりつつある。 公園内には、児童の遊戯場も作られ、バスケットボールも遊べる。 以前の池の位置とは違うが、きれいに造園されている。藤棚も用意されているようだ。 檜坂からの入口は江戸風の門構えでなかなかのものである。ホント完成が楽しみです。 |
(外苑東通りから桧町公園に向かう) |
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投稿者 formosa : 13:46
青山赤坂の朝10月28日
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(青山墓地) |
(六本木:ジャガーの上にキャット) |
(六本木:お豆腐屋さん吉ふ) |
(赤坂:桧町公園) |
投稿者 formosa : 10:06
投稿者 formosa : 16:41
今日の散歩道10月26日
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先日見つけた、勝海舟邸跡の記(赤坂6丁目)、テキストを書いてみた。 けっこう長いが、 興味のある方は読んでみてください。 歴史のお勉強です!(^_^;) |
≪勝 海舟邸跡の記≫ 港区赤坂六丁目一0十番三九号の「ソフトタウン赤坂」が建つこの地は、幕末から明治に明治にかけて、幕臣として活躍した勝海舟が安政六年(一八五九)から明治元年(一八六八)まで住んだ旧跡である。 海舟は終生赤坂の地を愛し、三ヶ所に住んだが、当所居住中の一0年間が最も華々しく活躍した時期に当たる。 海舟は号で、名は義邦。通称鱗太郎、安房守であったたから安房と称し、後に安芳と改めた。夫人は民子。 海舟は文政六年(一八二三)、本所亀沢町の旗本屋敷=現墨田区両国四丁目の両国公園の地=で、貧しい御家人の子として出生。長じて赤坂溜池の筑前黒田藩邸=のちの福吉町、現赤坂二丁目の赤坂ツインタワービルや衆議院赤坂宿舎などの地=に通って蘭学を学び、その縁から新婚二十三歳で赤坂田町中通り=現赤坂三丁目一三番二号のみすじ通り=の借家で所帯を持った。 三十六歳からは赤坂本氷川坂下=もとひかわざかした、のちの氷川町=のこの地に住んだ。 明治元年四十五歳で、引退の徳川慶喜に従って、ここから静岡市に移ったが、明治五年(一八七二)再び上京し、満七十六歳で亡くなるまで赤坂区氷川町四番地=現赤坂六丁目六番一四号=に住み、参議・海軍卿、枢密顧問官、伯爵として顕官の生活を送り、傍ら氷川清話などを遺した。この地の屋敷跡は東京市に寄付され、平成五年(一九九三)春まで区立氷川小学校敷地として使われた。 当所に住み始めた翌年の安政七年(一八六0)、幕府海軍の軍艦頭取=★臨丸艦長として、上司の軍艦奉行木村■津守、その従僕福沢諭吉らを乗せ、正使の外国奉行新見豊前守を乗せた米鑑ポーハタン号に先行して渡航、日本の艦船として初めて太平洋横断・往復に成功した。 文久二年(一八六二)十一月、海舟刺殺しようと訪れた旧土佐藩士坂本龍馬らに、世界情勢を説いて決意を変えさせ、逆に熱心な門下生に育てて、明治維新への流れに重要な転機を与えることになったのもこの場所である。 明治元年三月には、幕府陸軍総裁として、官軍の江戸城総攻撃を前に征討総督参謀西郷隆盛と談判を重ね、無血開城を決めて江戸の町を戦火から救った。 第一回会議は高輪の薩摩藩邸=品川駅前の、のちの高輪南町、現港区高輪三丁目のホテルパシフィックの地=で行われた。第二回については芝田町薩摩藩邸=のち三田四国町、現港区芝五丁目芝税務署辺りの地=または、三田海岸の薩摩藩蔵屋敷(くらやしき=倉庫)の表側にある民家=現港区芝五丁目の三菱自動車ビル周辺=で行われたとの両説がある。いずれも当所居住中のことである。 明治維新では、明治元年五月、海舟の留守町に一部の官軍兵士がここの勝邸に乱入したが、海舟の妹で佐久間象山未亡人の瑞枝(旧名・順)が家人を励まして一歩も引かずに対応し、危急を救った。 海舟は終生赤坂の地を愛したが、郊外の風光にも惹かれ、初めは葛飾区東四ツ木一丁目に、次いで洗足池畔の大田区南千束一丁目現大田区立大森第六中学校の地に別邸を設けた。墓は洗足池に面して造られ、自ら建てた西郷隆盛を偲ぶ碑と共に大田区文化財に指定されている。
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投稿者 formosa : 08:03
投稿者 formosa : 09:30
投稿者 formosa : 20:08
今日の散歩道10月23日
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今日の散歩道は、 小ぶりの雨。 近所の住宅地を散歩してみた。 気がつかなかったが、赤坂六丁目に 幕臣として活躍した「勝海舟」が住んだ旧跡があった。(今は、ソフトタウン赤坂という建物が建ち1階は喫茶&バーのような感じである) 明治維新への重要な転機を与え、西郷隆盛と談判を重ね、無血開城を決めて江戸の町を戦火から守ったことでも知られたいる。 この港区が今あるのも勝海舟のおかげかも知れない。ありがたや、ありがたや。 |
投稿者 formosa : 09:35
今日の散歩道10月22日
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今日の散歩道は、 おとなしく、六本木交差点から東京タワーに向かい外苑東通りから途中で左折して「寄席坂」という坂を下りてアメリカ大使館宿舎の方に戻ってきた。 日曜日の朝、六本木交差点付近は外国人のたまり場だった。彼らは平日はどんなお仕事をしているのだろう? 【寄席坂】 坂の途中の北側に、明治から大正3年にかけて、福井亭という寄席があったために、寄席坂とよびならわすようになった 寄席坂の坂上の手前左側に丹波谷坂がある。 |
投稿者 formosa : 10:05
浜離宮10月21日
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今日の散歩道は、 ちょっと足を伸ばし、 赤坂-溜池-虎の門-新橋-汐留-浜離宮と往復3時間に及ぶ散歩となった。 途中、溜池(赤坂1丁目)外堀通りにある田崎真珠さんの前で「小さな秋」を見つけた。 ギャラリーの前に飾ってあった2対のフラワーアレンジメントであるが、お店の方にご了解をいただいて撮影させてもらった。フラワーアレンジメントと言うより「柿の木」である。 さすが、世界に名高い「田崎真珠」さんである。 |
赤坂の田崎パールギャラリー
散歩途中に見かけた「汐留のイタリア街」、 ベンチに座って休んでいる近所の人たち?なんとなく優雅である。 浜離宮の散歩は、こちらにフォトアルバムとして、こちらに画像をアップしてある。 帰りに通った、汐留カレッタB2広場では、コンサートのリハーサルを行っていた。 |
汐留シオサイトのイタリア街 |
汐留カレッタB2広場 |
汐留は仙台藩上屋敷跡であった。
投稿者 formosa : 16:46
今日の散歩道10月20日
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今日の散歩道は、 来春、新しく甦る桧町公園の様子。 桧町公園からみた東京ミッドタウンの高層ビルを見て不思議に思った。 近くには、たくさんの高層ビルが建設中である。 青山一丁目の東京都のビル、赤坂のTBS・・・ どれをみても外観が 「外の窓ガラス、清掃が大変だろうな~」 と心配になるフラットでないデザイン。 これが、今流なのだろうか? |
新しくなる檜町公園の正面入口
(時代を感じさせる建物の門をくぐると新しくなった池がある
外苑東通り側から 桧町公園に向かう歩道 |
赤坂通り側から 東京ミッドタウンを見た風景 |
投稿者 formosa : 09:37
今日の散歩道10月19日
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今日の散歩道は、 青山墓地を抜けて、星条旗通りへ。 「かおたんラーメン」に5台の製作会社らしい車が止まっていた。 撮影機材をセットしているスタッフもかなりの人数である。 何かドラマの撮影だろうか?朝のお客さんがいない時間をねらっての撮影だったのかも知れない。 かおたんラーメンは、台湾風のラーメンで好きな味である。平日は朝4時半まで営業しているので夜更かしで遊んでいる方は立ち寄ってみたらどうだろう。 「かおたんラーメン南青山店」 |
投稿者 formosa : 09:54
今日の散歩道10月18日
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今日の散歩道は、
外苑東通りから六本木3丁目に入った通り。 「丹波谷坂(たんばだにざか)」というのがあった。 元和年間旗本岡部丹波守の屋敷ができ、坂下を丹波谷といった。明治初年この坂を開き、谷の名前から坂の名称とした。 と書いてあった。 港区は都内でも有数な坂の多い街と言われるが、散歩していると各所で、このような「いわれ」の書いている坂がみられる。 |
投稿者 formosa : 10:08
今日の散歩道10月17日
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今日の散歩道は、 「青山橋」まで足をのばしてみた。 いつものように、「東京ミッドタウン」に向かうらしい作業員風の人たちが歩いている。 ようやく、その理由がわかった! 青山橋の下にある駐車場にも、ワゴンがたくさん駐車してあった。 こんなに遠くに駐車して通っていたとは・・・ ホント、ご苦労さまです。 |
投稿者 formosa : 09:14
今日の散歩道10月16日
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今日の散歩道は、 政策研究院前に、この夏に出来たばかりの100円パーキング。 朝、7時過ぎに散歩したのであるが、 もう満車。 みると、乗用車は少なくほとんどワゴン。 どうも、「東京ミッドタウン」でお仕事している工事関係の車両のようである。 この駐車場から「東京ミッドタウン」まで結構離れているが、やはり付近の駐車場は足りないのだろう。 「東京ミッドタウン」の完成まで、いったいどのくらいの人たちがお仕事しているのだろうか?ビル建設、内装、電気、水道、ガス、通信、昭明、機械、植樹、園芸、舗装などなど・・・様々な専門職の人たちが造りあげているのだろう。いつもすごいな~と思っている。 |
投稿者 formosa : 12:18
今日の散歩道10月15日
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今日の散歩道は、 乃木坂-青山墓地-星条旗通り-東京ミッドタウンと散歩した。 日曜日のせいか、いつもの東京ミッドタウンに通う作業員の姿がほとんど見られない。 外苑東通りに面した歩道はきれいに整備された。道路に飛び出た細い仮歩道が、広く歩きやすい歩道になりつつある。六本木ヒルズ近くのけや木通りのような感じになるのだろうか? 東京ミッドタウンの開発、ますます楽しみになってきた。 |
投稿者 formosa : 10:32
今日の散歩道10月14日
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今日の散歩道は、 いつもの赤坂御所。 いつも時計回りに散歩しているが、今日は時計反対回りで散歩してみた。すると、いつもと違う景色が見えてきた。 歩き慣れた散歩道も、方向を変えて歩いてみると新しい発見がある。人生、仕事も一緒かも知れない。 【紀伊国坂】 紀伊国坂(きのくにざか)は江戸時代に坂の西側に紀州藩(和歌山県)広大な屋敷の上屋敷があったことから名付けられた。紀国坂、紀之国坂、紀ノ国坂と表記することもある。別名は赤坂(あかさか)、茜坂(あかねざか)。なるほど、赤坂御所は、もと紀州(和歌山県)徳川家の屋敷だったのだ。 |
坂の西側は紀州藩上屋敷であったが現在は赤坂御用地、迎賓館になっている。別名の赤坂・茜坂は、赤根山(迎賓館付近の高台)に登る坂であることから名付けられた。付近の赤坂という地名の由来になっている。この紀伊国坂を登っていくと、左の宮内庁職員の官舎側の土手に大きな木があった。何の木だろう?今まで赤坂御所を時計回りで散歩していて気がつかなかった。 |
投稿者 formosa : 10:42
今日の散歩道10月13日
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今日の散歩道は、 青山墓地を抜けて、星条旗通りを散歩した。今まで気がつかなかったが、この通りにも「青山緑陰散歩」の石碑があった。 東大物性研究所は、政策研究院に建て代わっているが、「青山緑陰散歩」の散歩道がわかる。 「青山緑陰散歩」を調べてみようと、Yahoo!とGoogleで検索してたら、このブログがトップ表示だった。結局、よく分からない。 でも、この「青山緑陰散歩」の石碑が各所にあることを発見し、ちょっと嬉しい。 |
投稿者 formosa : 09:56
投稿者 formosa : 07:49
分かれ道10月11日
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今日の散歩道は、 乃木坂-六本木3丁目-赤坂山王散歩道を歩いた。相変わらず「東京ミッドタウン」の現場に向かう作業員らしき人たちが多く見られる。 この「東京ミッドタウン」が完成すれば、数千、数万人の人たちが出入りし近所のショップへもたらす経済効果はそうとうなものと思う。 今でも現場で働く人たちでコンビニや居酒屋がにぎわっている感じである。 思えば、防衛庁が移転した時は、いつも自衛官で大入り満員の居酒屋も厳しい店舗経営を迫られたものと思う。 耐えられず、お店を閉め移転していたお店もある。 今は、「東京ミッドタウン」の完成で、繁盛を待ち望む人たちが多いと思う。 「防衛庁移転」でお店を閉めた人、「東京ミッドタウン」完成で繁盛する人、 分かれ道は、どこだったのだろう? |
投稿者 formosa : 09:28
投稿者 formosa : 10:41
今日の散歩道10月9日
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今日の散歩道は、 港区六本木7丁目の東京大学生産技術研究所跡地に2007年1月オープン予定でできる 日本最大規模を誇る国立新美術館である。 オープンまで未だ3ヶ月あるが、出来上がる館内にはミュージアムショップ・レストラン・カフェがあるとのことで楽しみである。 美術・芸術とは、ほど遠い松とうちゃんですが、前面を覆うガラスカーテンウォールが、波のようにうねり、美しい曲線を描いてきれいである。 このガラスカーテンウォール越しに、青山公園など周辺の緑地にとけこむように植栽された庭園の眺めを楽しむこともでき、散歩道の寄り道ポイントにしたい。 |
投稿者 formosa : 10:11
青山緑陰散歩10月8日
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今日の散歩道は、 表参道から乃木坂までの2.6m「青山緑陰散歩」の石碑が立つ、東京ミッドタウン開発の角を撮影してみた。 歩道がきれいに整備され、新しく石碑を建て直したようだが、そこに埋められたいる散歩道のルート(地図)には、旧防衛庁や東大生産技術研究所が書かれており、現在の東京ミッドタウン開発はない。 東京ミッドタウンの乃木坂よりの角地は、桧町公園に向かう歩道もだいぶ出来上がり、開通が楽しみである。 この東京ミッドタウン、見るたびに完成に近づいていく様子がわかり楽しい。 |
投稿者 formosa : 08:32
そろそろ終わり10月7日
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今日の散歩道は、 乃木坂トンネルを抜けて、青山墓地 そして西麻布から六本木東京ミッドタウンと散歩した。 銀杏並木の歩道では、かなりの「銀杏の実」が・・・ 多くの人たちに踏みつぶされ、銀杏の葉の緑と黄色い実の色で歩道を塗りつぶしていた。 そろそろ「銀杏拾い」も終わりかな・・・ |
投稿者 formosa : 09:03
沖縄10月3~5日
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開催日:2006年10月3日(火)~10月5日(木)
台風の影響もあり、
恩納「ホースシュー」は、エントリーできませんでした。 とっても残念。 でも、恩納ポイントに入ることが出来、アドベンチャーなダイビングを楽しむことが出来ました。 宿泊でお世話になったのは サンセットアメリカン タンクレンタルでお世話になったのは オーシャンビーチちゃたん でした。 ≪塩作り体験≫
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投稿者 formosa : 14:45
今日の散歩道10月6日
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今日の散歩道は、 雨である。 桧町公園は、現在東京ミッドタウン開発とともに新しい公園に生まれ変わります。 年内には、完成するのではないかと思うが、東京ミッドタウンに隣接する公園としてきれいに出来上がるものと思います。 この桧町公園付近は、江戸時代長州藩松平大膳大夫(毛利氏)の下屋敷でした。敷地の総坪数は約36800坪で、赤坂九丁目の地域です。そこにあった庭は「清水園」とよばれ、この当時の名園の一つであったらしい。邸内に檜の木立が多かったことから「檜屋敷」と呼ばれ、かつての檜町という地名もここに由来しているそうです。 |
投稿者 formosa : 13:29
沖縄塩作り10月5日
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今日の散歩道は、 沖縄読谷の塩作り体験である。 海岸沿いの施設を入ると、 「塩そば」、「塩アイス」と変わり種の登り旗が目に付く。その他、陶芸工房、ガラス工房などもあるが、今回は「塩作り」に挑戦する。 「Gala 青い海」 沖縄県中頭郡読谷村高志保915 tel 098-958-3940 |
近くのビーチから汲み上げられた海水は、塩分濃縮施設で濃縮されるが、左の画像、左側奧に見えるのが、その濃縮施設である。この施設近くで、今回の「塩作り体験」を行った。
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≪塩作りはこんな感じ≫
石焼きビビンバの器に似た陶器を七輪の上に乗せ、 通常の海水の塩濃度を7倍に濃縮したものを約150mlほど入れて温めた。 | |
10分近くすると、湯気が出始めかすかに塩が見え始める。竹の棒でゆっくりとかき混ぜながら更に熱する。 | |
水分がだいぶ無くなり、煮詰まってクリーム状になる。こげないようにかき混ぜ続ける。 | |
ほとんど水分がなくなり、塩らしくなってきた。 | |
七輪から器をおろし、余熱で更に水分を飛ばす。作業開始から約45分であるが、さらさら感がでてきて完成である。 |
投稿者 formosa : 00:43
投稿者 formosa : 16:35
これから沖縄10月3日
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今日は、早朝から
沖縄に向けて出発。 いつもの「今日の散歩道」の時間はないが、 自宅を出て、六本木駅に向かう途中、「東京ミッドタウン」の歩道(外苑東通り)が少し出来上がっているのを見ながら撮影してみた。 沖縄から帰って来るころには、 この散歩道もきれいに整備されているかも知れない。 楽しみ、楽しみ。 明日も「今日の散歩道」書けないかも知れないが、沖縄ダイビングツアー、楽しんできます。 では。 |
投稿者 formosa : 08:45
今日の散歩道10月2日
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今日の散歩道は、 東京に戻り、乃木坂から青山墓地へ 雨である。 地下鉄乃木坂駅近く(六本木方向1つ目の交差点)に 居酒屋「魚真城@乃木坂」を発見。 下北沢で23年前から営業している「魚真」の乃木坂店のようだ。築地市場の仲買のお魚屋さんでオープンが楽しみである。 ・・・ん 今日(10月2日)がオープン 明日から沖縄ツアーであるが、 これはオープン日の今日、行くしかない!! |
投稿者 formosa : 12:32
今日の散歩道10月1日
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今日の散歩道も、
浜名湖畔である。 3日間続いた「浜名湖」でのセミナーも今日で終了。仕入れた新しい情報を元に、明日から頑張らなくては・・・ という思いである。 湖畔の散歩も気持ちがいいが、赤坂御所、青山墓地が懐かしくなってきた。 |
投稿者 formosa : 07:20