今日の散歩道「大月駅から徒歩10秒」
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朝7時半に自宅を出て中央線大月駅に向かった。お客様のところで打ち合わせとサポート作業である。お昼は「カレーで町おこし」ということで、レストランで馬スジ肉のカレーうどんをいただいた。体も温まりなかなか旨かった!
5時過ぎには仕事も片づき、大月駅前のイタリアン「アダージッシモ」というところに案内していただいた。なかなか洒落た雰囲気のお店で2階に上がると奥にグランドピアノがあった。
ラッキー!!
木曜日の夜は音大に通う「かおり」ちゃんが弾いてくれるのだ。
彼女の弾くピアノ演奏をききながら洒落た夕食になった。いただいたメニューは「シェフ今日のオススメ、タラのなんちゃらかんちゃら」。雰囲気がいいせいもあって美味しかった!
今日の散歩道「大月」は、なかなか楽しかった。
【アダージッシモ】
山梨県大月市大月町大月1-3-1
TEL:0554-23-2323
[map:山梨県大月市大月町大月1-3-1]
投稿者 formosa : 22:45
ダイエットに「油そば」?
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日々の食生活を見直し、スリムな健康体を取り戻すべく、いつもの散歩に負荷をかけることにした。(今日からです)
「ウォーキングシューズエネルギア」なるものを仲間のお店「ダイエット屋」で購入。赤坂付近を散歩してみた。なかなかいい感じで、歩いているだけで足腰に筋肉がつきそうである。
赤坂見附駅付近で「油そば東京油組総本店」を発見!困った!
「1/10~1/31まで開店セールで半額」
半額とあって行列が出来ている。明日は大月に出張なので来れない!チャンスは今日しかない!こりゃあ~食べるしかない!ダイエットにと、わざわざ両足1.5キロのウォーキングシューズを履いて散歩にきたのに・・・
「油そば」を食べるはめに・・・
でも、外にも店内にもこんなことが買いてあった。
「カロリーはラーメンのほぼ3分の2、塩分は約半分。特別に調合した油の成分は脂肪燃焼効果が高く、さらにビタミンEやポリフェノール、アミノ酸も豊富に含んでいて美味しくて身体にも優しい。」
油そばというネーミングから考えられないヘルシーさとか。
まっいっか!
油そば 東京油組総本店
TEL:03-5571-6011
[map:東京都港区赤坂3-10-20 ]
投稿者 formosa : 16:17
ご褒美は「にごり酒 桃川」
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いつもながら一生懸命仕事した。
自分へのご褒美に、青森の銘酒「桃川」のにごり酒に、山形の赤かぶの漬け物、赤坂フーデックスで買ったサバの味噌煮で一杯やった。
至福の時間です。
「にごり酒 桃川」の蔵元「桃川」は江戸末期創業で、本格的に酒造りを始めたのは明治22年だそうです。創業当時は百石川(奥入瀬川の通称)の水を使用していたことから、「百(もも)」を果物の桃に代え「桃川」と名付けたそうです。
甘味・酸味とも控えめで、にごり酒の割にはさらりと飲みやすいのですが、アルコールの回りが早いせいか、これを飲むと「今日はもういいっか!」と仕事を放りだすことが多いのでやっかいです。
投稿者 formosa : 12:31
アイコンが使えるようになりました!
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ネットで探し頑張りました。
こちらで教えていただきました。
「The blog of H.Fujimoto」
日記を書くこちらとしては、とっても楽しくなりました!
【お天気アイコン】
【お食事と温泉アイコン】
【交通アイコン】
【面白アイコン】
まだまだたくさんあるけど・・・
投稿者 formosa : 11:59
すごいゴム輪銃、288連発!
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すごい迫力でビックリ!
479ピースを組んで作られた「Disintegrator」銃、輪ゴムを6、7m飛ばすことが出来る上に、連射のスピードも40/毎秒という速さというから驚き。普通の輪ゴムなら288本も飛ばせるようになっているそうです。
その迫力、「ユーチューブの動画」でご覧になれます。
ゴム銃っていろいろあるんですね。
http://win.xrea.jp/gun.html
投稿者 formosa : 22:27
東京畜産大学の馬運車?
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我が母校の映画「三本木農業高校、馬術部」のための東京畜産大学と書かれてある
馬運車のセットがあること、
ブログ「農ある暮らし☆美味しさサプライズ」で拝見しました。
映画のために作った架空の大学とのことでした。
ブログ記事の内容、興味深かったですが、何よりも母校の関係者のブログを見つけて嬉しい!
[map:青森県十和田市相坂字高清水78-92]
投稿者 formosa : 12:02
地図が掲載されるようになりました。
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[map:東京都港区赤坂8丁目12番22号]
投稿者 formosa : 02:07
今日の散歩道「夕暮れのミッドタウン」
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大阪のネットショップ仲間と赤坂で打ち合わせ、
お昼をTBS前、寿司「鮨勘」でいただいた。
大間のマグロ、相変わらず旨かった。
会食の後、用事を済ませ、久しぶり日曜日の東京ミッドタウンに散歩した。
外はめっぽう寒いが中は相変わらず人混み。若者や女性たちで賑わっていた。
檜町公園となりの広場にイルミネーションがきれいに配置されていたが、「夜を意味するブルーと星をイメージするホワイトの豆ライト」がきれいででした。
投稿者 formosa : 17:27
難病と闘う「そうたろう君」
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投稿者 formosa : 20:57
「八戸ラーメン」の歴史
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先日行った八戸、「八戸ラーメン」についてご紹介しよう。
東北新幹線の北終点、八戸駅八戸市街地からちょっと離れているのか、駅近くはあまりにぎやかではありません。 でも駅には「八戸ラーメン」ののれんが見えます。
「八戸ラーメン」の歴史は、実は「支那そば」と関係があります。
からほぼ全文の引用ですが・・・
八戸ラーメンの歴史は昭和3年頃に(1928年)始まります。
青森県六日町に鄭克銓(テイコクセン)さんが食堂「来々軒」を開店し、「支那そば」を売り出したのが始まりと言われています。
以前、東京で十数台のラーメン屋台を経営していた鄭さんは、大正12年9月1日(1923年)の関東大震災後に八戸の十八日町に移り住んでいましたが、「支那そば」造りのために中国(福建省)から呼び寄せた陳さんに、細切りで手揉みの麺を造らせ、タレは醸造醤油をベースに近海で獲れた煮干しをふんだんに使い、地鶏ガラと豚骨でダシを取りました。
この絶妙な味は当時、大変な話題を生み、客の行列は絶えることがありませんでした。
戦後(1946年)になり、名称を「支那そば」から「中華そば」に変え、"来々軒""板橋""一心亭""千成"など専門店も多くなるにつれ、同時に、杉本・中村・外崎・中島・木村・松橋・阿部さん等の製麺業者も、陳さんや尻内町の林さんの指導により、次々と増えて行きました。
これらの動きが全国的に販路を拡張することに繋がり、 東京でも知られるようになりました。
今日の全国的なラーメンブームは、「札幌ラーメン」や「とんこつラーメン」を代表とするように濃厚なラーメンが台頭しておりますが、最近では、ようやくあっさり風味を求める気運も高まり、「八戸ラーメン」が復活しました。
70年余りの歴史と伝統を持つ「八戸ラーメン」は、適当な細麺のちぢれと深みのあるスープが調和し、長い間、庶民に親しまれてきた伝統の味です。 地元の誇りです。 大好きです。
そんな 「八戸ラーメン」八戸の八食センターで買ってきました。
投稿者 formosa : 20:19
素敵なロマン・・・
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台湾の「小説や映画より劇的な親子の再開」の話しに続く
目にしたニュースに感動・・・
「おてがみをひろったかたは、おへんじをください」。
1993年に風船に託した川崎市市立宮崎小学校一年生の手紙が
千葉県銚子市の銚子漁港で水揚げされたカレイの背中に付いていた
素敵な話しでした。
「15年たってカレイの背中に張り付いて現れる」と不思議なお話に
素敵なロマンを感じました。
小学一年生も今は22歳?
「風船と手紙」は、どこをどう旅していたのかな~
世の中には「素敵で不思議な再会」があるんですね。
◇手紙の全文
おてがみをひろった人へ
わたしは小がっこう1ねんせいです。いまわたしたちのがっこうは、百二十さいです。そのおいわいで、みやしょうおんどをうたったりおどったりします。このおてがみをひろったかたは、おへんじをください。
しらひげなつみ
川崎市宮前区馬絹1795
川崎市立宮崎小学校
投稿者 formosa : 19:59
小説や映画よりも劇的な実話・・・
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今、台湾で「小説や映画よりも劇的な親子の再会劇」が話題になっています。
1月22日「自由時報」など台湾新聞で記事になっていますが、
「ベトナムから台湾にメイドとして出稼ぎに行った女性の雇い主は、
偶然にも実父だった」という実話です。
台湾の蔡漢朝さん(現在77歳)、30代のころ、
1967年香港に出張に行った際にベトナム人女性と短くも激しい恋に落ちる。
しかし、そのベトナム人女性の故郷ベトナムの母親が重病にかかり、
看病のため女性は後ろ髪を引かれる思いで蔡さんのもとを離れることになる。
別れ際に蔡さんは
「自分を忘れないで」と写真と指輪を贈ったのだった。
実はその時、女性は蔡さんの子供を身ごもっており、ベトナムで
1967年に女児を出産した。それがチャン・ティ・カムさん(現在39歳)だった。
ベトナム人女性は、一層激化するベトナム戦争のさなか、
香港に戻ることもできないまま、カムさんを産んで2カ月後に他界した。
そして、亡くなる間際に姉に形見の品を託していた。
その後、カムさんは1989年に結婚する際、おばから出生の秘密を打ち明けられた。
そして、台湾でもしかしたら実父に会えるかもしれないという期待から
形見の品を携えて台湾に出稼ぎに来ていたのだった。
カムさんは2004年6月、台湾北部の家にホームヘルパーとして出稼ぎに来た。
雇い主の妻が重病で7カ月間、住み込みで介護していたが、死亡したため別の
家庭ヘルパーとして金門に移った。
その際、母親が父親から受け取った指輪と写真を入れた荷物を置き忘れた。
2005年初め「大切な形見だから・・・」
と遺失物を探して欲しいという依頼を受けた金門警察は、
以前に彼女が働いていた台北県三重市の家にあると見て問い合わせたところ、
2006年4月、それらしき袋が出てきた。
蔡さんが確認のため、その袋を開けると・・・
全身が震えた。出てきたのはなんと自分の若いころの写真と指輪だった。
驚いて尋ねると、カムさんは「母親が実の父親の形見として残したものだ」と
答えたのだった。指輪には蔡さんの名前が刻み込まれていた。
話を聞いて、蔡さんに若いころの恋の記憶がよみがえった。
カムさんは電話の向こうで「お父さん、ずっと苦労して探していました」と声を震わせた。
その後のDNA鑑定でも親子関係が証明され、娘の存在さえ知らなかった蔡さんは、
「まさか実の娘をメイドとして雇うなんて、夢にも思わなかった」
と偶然のめぐり合わせに驚きつつ、喜びを噛みしめている。
カムさんは台湾への再渡航手続きのため現在ベトナムに帰国中。
蔡さんは心臓病のため、台北市内の病院に入院しているが、娘との再会の日を
一日千秋の思いで待ち焦がれているそうです。
異国台湾にきて、献身的なホームヘルパーの仕事をした
チャン・ティ・カムさんに神様がプレゼントした
「劇的な親子の再会劇」ですね。
いい話しです。
たぶん、ノンフィクションとして
本にも映画にもなると思います。
次の台湾ダイビングツアー(4月)のときに
台湾国内での反響を肌で感じてきたいと思います。
投稿者 formosa : 19:51
八戸旬グルメツアー
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投稿者 formosa : 19:47
今年も巣鴨笠原邸新年会
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投稿者 formosa : 22:14
あけましておめでとうございます。
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投稿者 formosa : 17:30