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麻布の歴史9月24日
今日の散歩道は、 「麻布台懐石碑」について書いてみる。 青山公園の丘の上にある「麻布台懐石碑」には、縄文時代から居住していたと言う麻布・赤坂・青山地区の歴史が書いてある。 石碑の全文を以下に書いてみた。 麻布・赤坂・青山地区の歴史がわかるので、興味のある人は読んでもらいたい。 |
麻布台懐古碑
麻布・赤坂・青山地区の歴史は古く、縄文時代(紀元前800年頃より)にはすでに人類が居住しており、同時代の各種の土器や石器が発見され、平安時代には農耕を守護とする神として、弘仁十三年(822年)に竹千代稲荷、天慶年間(938年~946年)に朝日神社(日ヶ窪稲荷)等が建立された。鎌倉時代には武蔵国の荘園として南部地区に飯倉御厨があり、寿永三年(1184年)源頼朝が伊勢大神宮の供物を調達したとの記録がある。武家時代に入り豊臣秀吉の意向を受けて関東を領国とした徳川家康が江戸城に到着したのは天正十八年(1590年)と伝えられている。飯倉の地名は現在は麻布の東端の部分を示すが、古くは東は増上寺山内より、西は麻布竜土、六本木より永坂辺に至ったという。当時の竜土町は麻布の百姓町であり、町況は地味で人通りもまばらだったという。麻布竜土町は、元和年間(1615年~1624年)に芝愛宕下や西久保あたりにいた猟師が引き移って現七丁目六番あたりに竜土町をなしたのを起源とし、その名は猟人村のかの字の脱落か、竜が下ったとか、また流動又は隆動より竜土に変わったなどともいわれる。明治七年(1874年)十一月創立された歩兵第三聯隊は、明治二十二年一月から昭和十四年(1939年)八月近衛歩兵第五聯隊が編成されるまでこの地に駐屯し、聯隊主力は昭和十一年五月中国東北部に渡った。その後昭和十八年八がより沖縄県宮古島の防衛に任じたが、終戦により聯隊歴史の幕を閉じた。近衛歩兵第五聯隊は昭和十六年一月中国南部に駐屯して、十二月太平洋戦争勃発と共に南方戦線に出動し、マレー半島、シンガポール、ジャワを経て北部スマトラ(インドネシア)に駐留し終戦を迎えた。昭和十八年首都防衛のため近衛歩兵第七聯隊が創立された。現在東京大学生産技術研究所の使用している鉄筋コンクリート造り三階建楕円形の建物は、関東大震災のため倒壊した兵舎を昭和三年六月再建したものである。現在の港区六本木七丁目二十二番地、同二十三番地のここ麻布台に立って、その変貌を目のあたりにし、栄枯盛衰の歴史を回顧すると万感こもごも至ってやまない。よって桜花咲き誇った馬屋跡の青山公園に記念の碑を残す。 昭和六十二年十月二十五日 近衛歩兵第五聯隊 歩兵第三聯隊 有志一同建立 |