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    我が街「赤坂」

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    生まれの青森県十和田市を第一の故郷、台湾暮らしが忘れられず大好きな台湾が第二の故郷と思っていたが、現在の「赤坂」が一番永く住みついており、いつの間にか「赤坂」が地元という意識が高まっている今日この頃です。

    「赤坂」には九丁目に東京ミッドタウン、五丁目に赤坂サカスと、最近賑わっていますが、「赤坂」は、もともと江戸屋敷跡や寺院が多く、歴史上の有名な人物や現在活躍の著名人が数多く住んでいます。

    今日はいつも散歩で目にとまる我が街「赤坂」の有名処をご紹介します。


    ■雷電為右衛門(1767~1825)
    港区赤坂七丁目〔報土寺〕
    信州に生まれ雲州(島根県)松江の松平候のお抱え力士として活躍。引退までの22年間で当時の最高位大関の地位に保つこと33場所、250勝10敗の大業績を残した力士として、古今未曾有の最強力士に推す意見も多い。三分坂の報土寺に菩提寺として眠っている。

    ■勝海舟(1823~1899)
    港区赤坂六丁目〔ソフトタウン勝海舟邸跡〕
    江戸本所亀沢町生まれ、幼名および通称は麟太郎。終生愛したこの地赤坂に住んだあとジョン万次郎、福澤諭吉らと航海し渡米。刺殺しようと訪れた坂本龍馬を説いて門下生にした。西郷隆盛と会談、江戸城開城の手筈と徳川宗家の今後などについての交渉を行い江戸城下での市街戦という事態は回避され、江戸が戦火から救われた「江戸城無血開城」を果たしたのは有名な話しである。

    ■乃木希典(1849~1912)
    港区赤坂八丁目〔旧乃木希典邸〕
    現在の六本木ヒルズにあった長府藩江戸屋敷で生まれ。長府藩報国隊に入り幕府軍と戦う。陸軍少佐となり西南戦争後ドイツ留学。台湾総統を経て後に日露戦争で第三軍司令官(大将)として指揮し英雄「聖将」と呼ばれた。陸軍大将従二位・勲一等・功一級・伯爵・第10代学習院院長。「乃木大将」「乃木将軍」などの呼称で呼ばれることも多い。平日には邸内のお屋敷外観が見れる。

    ■高橋是清(1854~1936)
    港区赤坂七丁目〔高橋是清記念公園〕
    風貌が達磨さんに似ていることから「だるま」宰相としても親しまれ、初代特許庁長官、蔵相を歴任、子爵を賜った。昭和11年2月26日226事件で自邸で青年将校に暗殺された。現在、高橋是清記念公園となっている。

    ■力道山(1924~1963)
    港区赤坂七丁目〔力マンション〕
    大相撲の力士出身で、第二次世界大戦終了後に日本のプロレス界の礎を築き、日本プロレス界の父と呼ばれている。1953年にテレビ放送が開始されたことも重なり日本中のヒーローとなる。「空手チョップ」でプロレスファンをわかせた。赤坂のナイトクラブで住吉傘下の構成員と喧嘩となり登山ナイフで腹部を刺され後に入院先の山王病院で死去した。

    ■宇崎竜童/阿木燿子ご夫妻
    港区赤坂八丁目〔ご自宅〕
    4月22日の「よい夫婦の日」を前に毎年恒例となる「ナイス・カップル大賞」(主催・講談社)で結婚39年となる宇崎竜童・阿木燿子ご夫妻が受賞された。お二人はご近所のレストランなどで気さくにお食事されたり、コンビニでお買物などもされている。これからも元気にご活躍のご夫婦と思います。



    雷電菩提寺


    勝海舟邸跡


    乃木大将邸


    高橋是清邸


    力道山の力マンション


    宇崎竜童邸